
歌詞
作詞:中原中也
作曲:桑畑地平
月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際(なみうちぎわ)に、落ちていた。 それを拾って、役立てようと 僕は思ったわけでもないが なぜだかそれを捨てるに忍びず 僕はそれを、袂(たもと)に入れた。 月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際に、落ちていた。 それを拾って、役立てようと 僕は思ったわけでもないが 月に向ってそれは抛(ほう)れず 浪に向ってそれは抛れず 僕はそれを、袂に入れた。 月夜の晩に、拾ったボタンは 指先に沁(し)み、心に沁みた。 月夜の晩に、拾ったボタンは どうしてそれが、捨てられようか?
楽曲解説
《Facebook 楽曲公開ページへの2018.3.11の投稿を再掲します。》 ちょうど七年前の今日。━━ 真っ黒な津波に呑み込まれてゆく東北の町々をテレビの実況中継で見守りながら、私はただ暗澹たる無力感に打ちのめされていました。自然の猛威の前には、人間の営為など無に等しいのではないか、・・・こうした痛ましい光景や、悲嘆にくれる大勢の被災者の姿を前にしては、私がこれまで作ってきた薄っぺらい音楽など、全く何の意味も持たないのではないか、と。 その後、津波が引いてしばらく経った頃、亡くなったり行方不明になったご家族や友人の、形見や手掛かりになるものを探し求めて、瓦礫に埋もれた海岸をさ迷い続ける人たちの姿を報道番組で見たとき、その映像に重なるように私の脳裏に浮かんできたのは、中原中也の詩『月夜の浜辺』でした。 中也もまた、底知れぬ悲しみと喪失感を胸に抱きながら、荒涼たる浜辺をさ迷っていたのかもしれません。そして、波打ち際で見つけた一つの小さなボタンに、今は亡き「愛する我が子」の面影を見たのかもしれません。 ・・・・やがてこれらの情景やイメージは、いつしか私の中で溶け合い、しだいに「一つの祈り」へと朧ろに形を変えてゆきました。そうしてその祈りに、かつて心を揺さぶられたフェリーニの映画『道』のラストシーンが重なった時、ついにそれはくっきりとした輪郭と深い陰影を持つ、力強い旋律へと変貌を遂げました。━━そうやって出来上がったのが「この歌」です。 あの震災の日から私自身も、様々な辛い出来事に見舞われ、何度も挫けそうになりましたが、そのたびに「この歌」に励まされ、導かれながら、何とか自分を見失わずに歩んでこれました。津波の犠牲者たちへの哀悼と、御遺族への慰藉(いしゃ)の意を込めて、一心不乱に作曲に取り組んできたつもりでしたが、今振り返ってみれば、「この歌」を作ることで誰よりも救われたのは、他ならぬ私自身でした。 中原中也とその愛児の魂、そして震災被災者の方々を初め、大切なものを失い悲しみにくれる全ての人たちに、この拙い「鎮魂歌」を捧げます。・・・・あの冷たく暗く澱んだ "嘆きの海" が、━━私が「この歌」の最後で描いたように━━温かく浄らかな "輝きの海" となって、傷ついた人々の心を洗い、癒す時が来ることを切望しつつ。 2018.3.11 クワハタ チヘイ(桑畑地平)










