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俺の歌は本当に小手先ソングだった
onimaru1625

歌詞

作詞:hisato fukushi

作曲:hisato fukushi

財団法人ヤマハ音楽振興会 仙台支部で俺の歌は 評価された 一人ぼっちで歌を作っているから 俺の歌は本当に情けないものだった 社団法人 日本レコード協会 御中 俺の歌を今すぐ CD化しておくれよ そんなに悪い言葉とメロディーなのか 俺は本当に頭にきてしまった 今日もまたいい曲が書けなかったといつものように 深いため息をひとつ・ふたつ・みつ つきながら ひがんで 情けない毎日を送っているんだけど... だから 行くぞってが 大々的に 誇大広告をして 俺の歌を全部 日本一の歌の つまり いっぱしの歌の仲間に入れておくれよ        大した努力をしていねぇこの俺だから 毎日ありふれ た日常をテーマに歌を作り 試行錯誤しているんだ! やはり音楽の世界はあの最高学府の東大に入る事よ りも いっぱい夢を追いかけている人が多く競争率が 特に激しいんだから...   そしてまた CDデビュー果たしたとしても 末永く  生き残るスターは ほんの一握りしかいなく まして  オリジナルソングで勝負するのなら 天賦の才能がなければ一旗あげられないという  とても凄く厳しくシビアな世界なんだから... やっぱし 俺の歌は 本当に ひがみ・不純 ・誤魔化しと綺麗事の塊だった    間違いなく 俺の歌は 本当に 小手先ソングだった

アーティスト情報

14才の時、松山千春さんの事を知り、ギターを弾き始める そうこうしているうちに井上陽水さんの事も知り、そしてまた、陽水さんの心の支えが当時、ビートルズだったというも知り、それからは両者の歌をカバーする日々が続きましたー 25の時、精神病(統合失調症)に発病し、約6年間青森郊外の精神病院で、入、退院を繰り返し 31の6月初めに退院する その後、35才からオリジナル曲がほとんどない中、青森駅を拠点に路上ライブを始める  40才の時に地元のテレビ局主催の祭りに参加して、運良く、審査員特別賞を頂きました その後は表立って音楽活動はせず.... .60才の春からTikTok配信ライバーとして、歌い出すけど、一年と5ヶ月過ぎても滞在してくれるリスナーさんはほとんどおらず、常連さんも居なくて....。(わだしはこれまでギター弾き語りの種は蒔いて来たんだけんど…。)なので、落ち込んでいますー!一番は滞在してくれる方がほとんどいなくて、悲しかったです 47年間ギター弾いてきて、初めての屈辱でしたー それがわだしには辛すぎましたー! 話は変わり、心機一転で2025年12月から不定期でまた、配信ライブを再開しますー!よろしくお願いいたしますm(_ _)m 以上ですー

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