
歌詞
作詞:Satomi
作曲:Satomi
深夜の高速道路 ヘッドライトと僕だけが起きている 窓に反射した顔は ひどく腫れていた 憧れはポケットの中で 折れ曲がったまま 広げる勇気も今日はなかった 東京なんかサイテーな街だ 東京は何も変えてくれない 東京なんか行ったって 惨めな気持ちが増えるだけなんだ 東京ずっと憧れていたよ 涙が出るのは 多分まだ諦めたくないから なんてバカみたい 夢を語るたび減っていく残高 強がりだけが上手くなったな 指をすり抜け 時間だけ経過 もう何回目?って夜に問うた 自分を信じたいけどただ怖いだけ 何かを期待するほどただ痛いだけ それでもまだ終われなくて この街まで来ただけ 夜のサービスエリア 空だけやけにフェア うまくいかない理由なら もう百個は言えるんだ 才能?運?環境?年齢? 考えすぎてまた夜明け 走っているのに進んでない そんな感覚にも慣れてきた 東京なんかサイテーな街だ 東京は何も変えてくれない 東京なんか行ったって 惨めな気持ちが増えるだけなんだ 東京ずっと憧れていたよ 涙が出るのは 多分まだ諦めたくないから なんてバカみたい 東京で認められたくて 東京で自分変えたくて 東京に行っただけじゃ 何も変わらないってわかってはいるけど 東京ずっと追いつきたいよ 涙が出るのは 多分まだ諦めたくないから 夢を見させてよTokyo
楽曲解説
東京は私にとって、一生かけて辿り着きたい憧れの地です。 私は両親がどちらも愛知県出身で、実家も愛知県だし、現在は名古屋に拠点を持って活動していますが、20代の時に3ヶ月だけ東京に住んでいたことがありました。 私は大学を卒業してからすぐ、通っていた地元の国立大学の正規の事務職員として就職しました。しかし、ADHD気味で型にはめられたくない私にとってはそこでの仕事は退屈・苦痛そのもので、上司にもたくさんの迷惑をかけ、向いていないことを自覚し、3年で退職を決めました。 退職を決めた時、もう愛知県に縛られる必要はないのでは?と思い、思い切って住む場所を憧れの東京に移してしまおうと考えました。開業届も出し、個人事業主としてスタートしました。 拠点を移した先は、調布市のシェアハウス。 23区内で一人暮らしができるほどの余裕はなかったので、新宿から京王線で急行で25分ほどの「西調布」駅からすぐのシェアハウスに住み始めました。 しかし、東京はそんなに甘い街ではなかった。 個人事業主として開業届を出したからと言って、仕事が湧いてくるなんてことはない。結局はアルバイトを掛け持ちしながら、毎月の支払いに怯えながら生活し、「何のために東京に来たんだろう」という状態が続いていました。 毎日満員電車に揺られながら、赤坂と永田町の間くらいにあるオフィスに行き、また帰っていく。 シェアハウスの同じフロアに住んでいた女の子は家賃を滞納していたらしく、時折管理会社の女性がその子のドアの前に行って「そこにいるのはわかってるのよ。支払い、どうする気なの?」と責め立てながらドアをノックしている姿を共用リビングから何度も目撃しました。 当時の私は「スズムシラプソディ」としてのアーティスト活動を終了させ、自分が何者で何がしたいのかも曖昧なままでした。 音楽活動に挫折し自分で終わらせた自分は、ただ「何者かになりたいだけで、フリーランスという肩書きそのものに憧れて正社員から降りただけの、薄っぺらくて空っぽな奴」でした。 そんな日々を過ごしていた私は、5月病も相まってだんだんと鬱っぽくなり、シェアハウスの狭い部屋に閉じこもってはただ涙を流すだけの廃人になっていました。 それで、名古屋に置いてきて当時遠距離恋愛をしていた元夫と籍を入れることを決め、名古屋に戻り、2人で暮らすことになったのです。 それ以来、東京にはたまに仕事や用事で行くだけで、住むことはしていません。 名古屋でアーティスト活動をしていると、よく「東京には進出しないの?」とよく聞かれます。 当時の私もそうだったけど、みんな、東京という街に幻想を見すぎていると思う。 実際に住んでみてわかったことは、東京はとりあえず行けば何かチャンスを掴める場所なのではなく、「今の自分の持ち物(才能や実力)が、良くも悪くも拡大する場所」だということです。 高い才能や実力を持っている人間は、それが世間に発見され、大きく飛躍することができる。 でも、何も持っていない人間は「何も持っていない」ということを嫌というほどに実感させられるんだと思います。 今年、2026年の1月、まさにこのアルバムの制作中だった期間に、私は2回東京に行きました。 1回目は、令和の虎の収録。みなさんご存知の通り、結果はNothingでボロボロになって終わりました。帰りの新幹線では悔しくてずっと涙が止まりませんでした。 2回目は、ナンバーワンシンガーという下北沢mona records で行われたイベント。このイベントでは会場のお客さんからの投票で順位がつけられ、勝ち上がれば賞金がもらえたり、さらなる次のイベントにブッキングしてもらえるという内容でした。「夢追い同盟」もバズってきていたタイミングだったし、私は入賞できる自信がありました。しかし、結果は4組中3位。 この2回の東京遠征で、やっぱり今の私は東京という街で勝負できるほどの実力は備えていないんだな…と絶望し、この「Tokyo」という曲を書きました。 アルバムが完成して、改めてこの曲を聴くと、すごく「中学生が書いたみたいな歌詞だな….」と思います。何だか、聴いていて自分で恥ずかしくなってきます。 30代になっても夢を叶えられていない惨めな人間は、感性が中学生のままで止まっているんだと思います。 でも、こんなに恥ずかしいくらいに青臭いこの歌詞に、鳥肌が立つほどのエモい編曲をつけてくれた内田さんには頭が上がりません。 内田さんの素晴らしいアレンジがあるから、まだかろうじて聴ける。笑 特に2番のラップ部分のジャズっぽいピアノとか本当に鳥肌が立ちません?私にはそんな引き出しは絶対にないので、アレンジをお願いして本当によかったな、と思います。 いつか必ず、成功を掴んで、東京に拠点を移してみせます。 「かつてはこんな曲も書いてたよな…」と後から懐かしく振り返ることができる日が来る日まで、前に進み続けます。
アーティスト情報
「夢を諦めない33歳が描く、本物の応援歌」 Vo. Satomi による名古屋発のバンドプロジェクト。 Satomi の15年の音楽人生を綴った楽曲「夢追い同盟」がInstagram・TikTokで話題に。 SNSでの総再生回数200万回超え。 「電車の中でつい泣いてしまった」「夢追い同盟に入れてください」「いつかフェスで見たい」など熱いコメントが相次ぐ。 現在は夫であるドラマー、芸大講師のギタリスト、名古屋で引っ張りだこのベーシストを迎え、スケール感のあるバンドサウンドへ進化中。 クラウドファンディングで295万円を集め、今年の5月ごろに待望の「夢追い同盟」が収録されたフルアルバムをリリースし、 2026年秋には初の全国6都市ワンマンツアーを行う。









