新潟県長岡市で2023年5月に結成された3ピースオルタナティブロックバンド、Ramblamp(ランブランプ)。2024年6月に初音源「海岸線をなぞる」をリリースし、同年12月には1st EP『日常がまたこだまする』を発表。2026年9月には2nd EP『各駅をさかのぼる』をリリース。都内でも積極的にライブ活動を展開している。
今回ピックアップする「あとの祭」には、整然と磨き上げることとは異なる方向にある、人の手で鳴らしていることがダイレクトに伝わる音が鳴っている。バンドアンサンブルもさることながら、この聴感を決定づけているのが、ボーカルの歌い方だ。
特に耳に残るのは、母音の扱い方である。言葉をメロディーに沿って滑らかに運ぶのではなく、母音を粘らせたり、語尾をわずかに引き延ばしたり、途中からざらついた発声に変えたりしている。そのたびにフレーズの流れに小さな引っ掛かりが生まれ、シンプルで何気ない言葉にも独特のニュアンスが加わっていく。さらに、ざらつきを巧みにコントロールする発声と、どこか気怠さを感じさせる語尾を放り投げるようなアプローチも特徴的だ。技巧を前面に押し出す歌唱ではないが、1度聴けば、その歌声と歌い方が強く記憶に残る。
面白いのは、いい意味で癖のあるボーカルの歌唱が、バンドアンサンブルと自然に馴染んでいることだ。乾いた質感のギターに、存在感を示しながら動くベース、楽曲の重心をしっかりと刻んでいくドラム。ボーカルを含めて、それぞれの音圧は結構高い方だと思うが、それでも、各楽器の輪郭が粒立ち、ボーカルのニュアンスも埋もれない。音を重ねて迫力を生み出すのではなく、3人の間に残された隙間まで、バンドサウンドの一部として扱っているからなのだと思う。
名もない感情を拾いながら――逡巡する心をそのまま刻む歌詞
そして、楽曲の中で描かれるのは、明確な答えを持たない主人公の姿だ。答えを求めているのか、探しているのかさえ曖昧で、その日常には小さな虚無感があちこちに潜んでいる。<未だに僕の何かが足りない>と感じ、<この街の端に何を見つけて/力尽きるまで歩いてみようか>と、自らに次のアクションを問いかける。Yシャツ、錆びついた手すり、並木、夕日など、歌詞に並ぶのは、どこにでもある風景の一部。しかし、それらを心情の説明として使うのではなく、目に映った景色と内面を同じ温度で並べることで、理由のわからない焦燥が浮かび上がってくる。そんな中で、<こんな場所でも夕日が見えるよ>と、小さな喜びを見つけ、<どんな言葉でもいつもありがとね>と感謝を綴る。そこには、「こんな場所」を美しい場所へと塗り替えるのではなく、見え方を少しだけ変えることで前へ進もうとする意志が感じられる。さらに、終盤では<傲慢な いや 後悔か そのどちらもいらない>という言葉が繰り返される。一度口にした言葉を「いや」と打ち消し、別の言葉を探す。そういう迷いや矛盾をシンプルな日本語で残しているところが、本曲の軸にある感情の細かな揺れを鮮やかに立ち上げている。
母音を粘らせる独特の歌唱も、余白を残した3人の演奏も、きれいに整理されない感情をそのまま音にするためのものなのだろう。不器用な生々しさ。「あとの祭」には、Ramblampというバンドのリアルが、じつに鮮明に刻まれている。
文・伊藤亜希
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