決めるのは"今の僕"、生きるのは"明後日の僕ら"
- 1. 一期一会
- 2. 網状脈
- 3. 迷想
- 4. 流れない涙
- 5. 74億の世界
2017.02.22 RELEASE
¥1,620 (Tax in) / 274-LDKCD
インターネット経由、路上育ち。弾き語り、DTM、ドローイング、動画制作など、あらゆる創作をたった一人でこなす、18歳。作品を通じてイメージしていたのは、“苦しみながら音楽を奏でる、伏し目がちな女の子”。が、そんな想像は会ってすぐに塗り替えられた。これまでの自分を臆することなく喜々として語る、湯木慧という少女の目には一点の翳りもない。明るく柔らかな口調に時折「作品をつくることは人生そのもの」と、こちらが気後れしてしまうほど強くまっすぐな言葉まで飛び出す。
いったい何が、彼女をここまでの“表現者”に変えたのだろう? 聞けば、中学時代から「ニコ生」での活動は始めていたが挫折を経験し、活動をストップした時期もあったという。
<前編>では、彼女の少女時代から、自身の表現を確立するまで。今春デビューを果たすことになった、アーティスト「湯木慧」が誕生する様を、一緒に見ていこう。
Text:横田 大
Photo:中津 祐一
ーー音楽に興味を持ったのはいつ頃ですか?
湯木慧(以下、湯木):“音楽”って大きな括りだと、9歳のころ始めたトランペットですね。お姉ちゃんがマーチングバンドに入っていて、小さいころから演奏してる姿を見ていた。それを追いかけるように音楽を始めて、小6まではそれ一色でした。
ーーその後11歳でギターに目覚めて、12歳で初めて曲をつくったとのことですが。
湯木:ある日テレビでYUIさんが「Good-bye days」を歌ってるのを見て、直感的に「この曲、すごくいい」と思ったんです。それで調べてくうちに、シンガー・ソングライターってジャンルを知って。「自分でつくった曲を、自分で弾いて歌う」って、めちゃくちゃかっこいい! と。思い立ったらすぐ行動する人間なので、そういう世界を知ったその月に、ギターは手に入れました。家族にも何も言わずに買って、ある日突然家に大きな荷物が届く、みたいな(笑)。
ーー音楽活動を始めたのと同時期に、バンドを組んだりもしていますね?
湯木:中学校に入学して吹奏楽部に入ったこともあって、やっぱりトランペットはずっと生活の中心にあったんです。でも部活に入って関わる人が増えたら、小さいころからピアノを続けてる子がいたり、ドラムを始める子がいたり、ベースをやっている子がいたりと、各々自分とは違う音楽に関心を持った人がいて、一緒にやったらおもしろそうって思ったんでしょうね。ちなみに、趣味はみんなバラバラだったんですけど、唯一共通して好きだったのはボカロでした。だからバンドでボカロの曲をやったり、私がボーカルだったのでYUIさんの曲をやったり。なんか、思い返してみると、本当にいろんなことをしてましたね。ちょうど「ニコニコ動画」にハマってたので「ニコ生」も始めたりして。
ーー新しいことを始めるのに、全然気負いがないですよね。
湯木:とくに中学時代は、いろんなことを始めた時期でした。(中学生だから)バイトもできなくてお金もないから、思いついたらとにかく動く! というのも、あったかもしれないです。「ニコ生」なんて最初は機材も何もわからないので、とりあえず一から全部自分で調べて。マイク、インターフェイス、動画編集アプリ……で、そもそもPCがないから、お父さんにノートPCをネダって(笑)。昔から物欲がなくて、初めて欲しいと思ったものがギターだったり、音楽の機材だったりしたんです。
ーー「ニコ生」は、当初から反響あったんですか?
湯木:全然(笑)。30分で5人しか見てくれてなくて、コメントもないけど、ただひたすら歌ってました。吹奏楽もバンドも、言ってみたら保護された中でやっていたことだし、ちゃんとパフォーマンスすること自体、初めてだったんですよね。「これじゃあ、誰にも届かないんだ」って、表現を発信する厳しさを知りました。
ーー高校生になって、ツイキャスやYouTubeなどいろんなWebサービスを使って活動し始めると同時に、路上ライブを始めたのは何か心境の変化があって?
湯木:ちょうど「ニコ生」で打ちのめされて、どうにかしなきゃと思った矢先に受験があって、音楽はいったんストップしてたんです。それに、そのころ両親が離婚したこともあって……だから、高校に入ってからは爆発しました。まず変わったのは、「どうしたら見てもらえるのか」を考えるようになったことですね。
中学時代、ボカロだったりYouTubeだったり、「ネットを介して音楽で繋がる」ってことに、見る側でもやる側でもめちゃめちゃハマって。「ネットってなんてすばらしい世界なんだ!」と思ってたんですけど、そこでネットの厳しさを知るところまで一周しちゃったんです。結局ネットって自分がどうがんばっても、見てもらえるか見てもらえないかは受け手次第で、すべて向こう側からのアクセスじゃないですか。それならもう、そこら辺を歩いてる人に歌うのが早いだろうと思って、路上ライブに惹かれていきました。
そんなときに、たまたま地元の駅で演奏するサックスとボーカル&ギターのユニット・cheekcolorさんに出会った。実はそのとき初めて路上ライブを観たんですけど、いつもの街の風景に音楽があふれている感じが、すごく楽しくて。その後2人にいろいろ話を聞くなかで「近くにオープンマイク※をやってるカフェがあるよ。まずはそこに行ってみたら?」と教えてもらったんです。その店には音楽をやってる方がたくさんいたので、アンプはどうすればいいとか、地元ならではのルールとか教えてもらって。
それでようやく、聞いた通りマイクやアンプを買って「いざ路上ライブするぞ!」と思ったら雨降る、みたいな(笑)。それに今度は、ネットを介していない人間の厳しさというか、そう簡単には立ちどまってくれなかったり、もちろんリアルな厳しさもありました。でも逆に聴いてくれたときのうれしさが、ネットの何倍もあった。
※オープンマイク:カフェやバーなどで特定の日時にお店のマイクを開放し、音楽をはじめ、演劇やお笑い、また手品などのパフォーマンスを行えるようにすること。欧米では一般的な催しで、ここで芸を磨きプロになったパフォーマーも少なくない。
ーーオンラインから始まったけど、それだけでは伝わらない現実を知って、路上で人のあたたかさを知るって、すごくおもしろい経験ですね。
湯木:やっぱり、そこはオープンマイクが大きくて。いきなり路上だと打ちのめされてたかもしれないですけど、あそこは基本お客さんが、聴こうとしてくれるんです。オープンマイクでは、人のあたたかさを知りました。本当に大好きで、大切な場所だった……実はもうそのカフェはなくなっちゃったんです。でも、今でもそこにいた人たちとは付き合いがあるし、私のホームです。
ネットだけでやっていたときはまだ憧れで、曲もつくろうと思ってつくってたんですけど、高校に入ってからは路上やオープンマイクで出会う人との繋がりで感情がすごく動いて、自然と曲がつくれるようになっていったんです。それにオープンマイクでは、みんなオリジナル曲を歌っていて。そこにはそれぞれのストーリーがあって素敵だなと思うのと同時に、自分でも「この場所のあたたかい空気を曲にしたい」「この出会いを歌にしたい」と思うようになりました。
ーーいい経験をされましたね。そこで、本当の意味で“表現”がつくられていったというか、「湯木慧」が生まれたんですね。ちょうどそのころですか、ものすごいペースでライブをやるようになったのは。
湯木:うん、まさにそうです。オリジナルが2曲しかないから3曲目はカバーで……っていうときから、新曲ができる度あそこで歌って。あの場所で「湯木慧」というアーティストができあがっていきました。それでだんだん、全部自分の曲でいけるようになったくらいから、ほかのライブハウスにも出られるようになっていったんです。
それも本当に人との繋がりなんですよね。路上で話して、教えてもらった場所で歌っていたら、イベントに呼んでもらえるようになって。一緒に歌ってたほかのシンガーの方々と別の箱で会って「僕がいつも出てるとこにも出てみない?」と話をもらって。ネットだけでは、こういうことはできなかったと思います。で、気づいたら、ライブが年間100本とかになっちゃってました(笑)。
ーー精力的にライブを行うようになったのと並行して、自主制作CDをリリースしたり、一気に加速していきましたね。
湯木:CDもやっぱりオープンマイク関連で、当時はほとんど個人事務所で「地元でがんばってるアーティストを応援しよう」という感じでやってたBean's Companyさんと一緒につくらせていただきました。と言っても、これはほとんど未流通で、名刺代わりじゃないけど路上で売ったり、ライブ会場で売ったりするくらいのものだったんですけど。Bean'sさんは制作費を「売れたら返してくれればいい」と言ってくれたのですが、このあたたかい方々のためにちゃんと売らなきゃって思い、ツイキャスもがんばったし、ライブもたくさんやって、結果1000枚を完売しました。
ーー新曲ができれば自分でMVをつくったり、同時に絵の活動を始めたり、どんどん活動が多岐にわたっていきますね。
湯木:演奏する、曲をつくる、ライブをする、グッズをつくる、絵を描く……までやって、じゃあ次は何しよう? となったときに「YouTubeは出さないの?」って声が出てきたんです。もちろん誰かにつくってもらってもよかったんですけど、そもそも誰に頼めばいいのかもわからなかったですし、MVも作品だと思っているので、いっそ自分でつくろう! と思って。
ーー「これ全部一人でやってるの!?」と驚いていたんですが、今の話を聞くとやむにやまれずだったり、ファンの方に求められて、というところもあったんですね。
湯木:お客さんをびっくりさせるのが好きなんです。MVにしてもグッズにしても誰かに頼むのが、いちばん普通のパターンですよね。だからこそ絵を描く、手づくりする、っていうところがあって。お金をかければ、いい感じのものはつくれるじゃないですか。でも100均で買ってきた素材でも、手間をかければこんなにキレイなモノをつくれるんだ! ってことも含めて、楽しんで欲しかった。ツイートするときも、最初はただのクリアファイルをツイートして、次に完成したストラップをアップするとか。
ーーそこも公開しちゃうんですね(笑)。でも本人の手づくりって、ファンはいちばんうれしいですもんね。
湯木:既製品より、真似できないものがいいなって。たぶん、母子家庭で裕福な家じゃなかったこともあって、あるものでなんとかやりくりしよう、というのは小さいころからあって。いかに工夫していいものがつくれるかだと思うんです。たとえば、ここ最近ずっと部屋に防音室が欲しいんですけど、ホームセンターで買ってきたベニヤ板でロフトベットの下に大きな箱をつくって、壁中に卵のパックを敷き詰めて、さらに遮音カーテンを貼ったりして、なんとなく防音? みたいな小屋をつくってみたりとか(笑)。
ーーここから、曲づくりに関して聞かせてください。以前は弾き語りが多かったと思うんですが、昨年発表した初めて打ち込み曲「人間様」から、新作のような表現に向かう兆しが見えますが、何か変化があったんでしょうか?
湯木:もともと打ち込みには、ずっと興味があったんです。中学生のころから米津玄師さんが大好きで、私もいつかやろうって。「人間様」は2016年につくった曲ですが、一昨年ライブをやりすぎた反動で、ちょうど制作に専念しようと思ってたタイミングだったのでチャレンジしてみました。実は本格的なMVも、そのとき初めてつくったんです。だから「人間様」は、けっこう分岐点だったかもしれません。初めての打ち込みはすごく難しかったんですけど、そこで活かされたのが吹奏楽だった。構成やリズムもそうなんですけど、サビでどう盛り上げるとか、音色もホルンとかトランペットとか自分が慣れ親しんだ楽器を使っていて。
ーー今年からLD&Kに所属することになりましたが、今まで通り活動を続けていく道もあったなかでデビューを決めたのは、やはり「表現で食べていこう」と決意されたからでしょうか?
湯木:小学生のころからずっと、何かクリエイティブなことをしたいと思っていたんです。だから、逆に音楽を続けず表舞台にも出ないとか、ほかの道が想像がつかなかった。もちろん甘い世界じゃないっていうのもわかってたので、頭を無理矢理に現実的なほうに向けようと思ったこともあったんですけど、やっぱり……と、さらに強く思っただけで。もし曲がつくれなくなったらとか、いろんな期待に応えなきゃとか、稼ぎを出さなきゃいけないとか、いろんな厳しさはあるかもしれないけど。でもそんな遠いこと考えてたら楽しくないし、よく言いますけど、明日死ぬかもしれない。だから「つくるのが好きで、それをやり続けたいからその道に進む」っていう単純な考えで動いても、いいんじゃないかと思ったんです。
当時の心境で言うと、高校卒業が近づいて、みんな受験する、就職するって進路の話が出てきた。卒業してしまえば、「高校生」というブランドじゃないですけど、(音楽業界が)若いっていうことが一つの売りにはなる世界だと知っていたので、それがなくなることに少し焦りは感じていて。また、同時に私はデザインの専門学校に行きたいと思っていたんですが、このまま絵を続けたら、肝心の音楽の道はどうなるんだ? という不安があったんですね。
そんなときにLD&Kの社長さんからメッセージをもらったんです。会社のこともよく知らなかったけど、とりあえず「社長」って書いてあるから会ってみようって。いま考えると、危なすぎますね(笑)。実はそれまでにも、いくつかそういったお話はあったんですけど、LD&Kさんとは1年くらい前からずっと、そういう胸の内も聞いてくださったり、ビジョンにも共感できたので、決断しました。
【後編】へ続く!
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