自らを“自由を掲げ、リスナーと人生の娯楽を探す新鋭エレクトロポップユニット”と称する、V;error。メンバーは、ボーカル兼コンポーザーのseowa(ソワ)とドラマーのLeoto(レオト)の2名。デジタル、ラップトップミュージックならではのテクスチャーを持ちながら、サウンドにはどこか、DIY的な肌触りも感じる。タイトな音質を積み上げるのではなく、繊細な音を柔らかく流すように配置することで、独特の優美な空間を作り出している。さらに、特徴的なのは、洗練されていながらも、ポップスとしての強度を保っているメロディー。シティポップ的な洒脱さもありながら、オーセンティックなグッドメロディーが芯を貫いている。日本独自の情緒や感性をルーツに持ちながらも、その音楽性は国境を越える普遍性を備えている。
彼らの「風と黄昏」は、4月1日にデジタルリリースされた『breather』に収録されている楽曲だ。サウンドは、軽やかなエレクトロポップである。打ち込みを主体としたトラックだが、低音域を前景化せず、硬質なアタックは入るものの、曲を支えるグルーヴは淡い浮遊感を保ったまま進行していく。拍の重心を曖昧にしたまま持続していくグルーヴが印象的だ。シンセの余韻や空間処理も奥へ引き過ぎないことで、音の余韻を曲の表情として機能させている。
巧みな情景描写――主人公の“年齢”を浮かび上がらせるモチーフ使い
そして秀逸なのが歌詞だ。1番と2番で、この曲の主人公の“年齢”を情景描写だけで切り分けている。例えば<15時半いつものドラマ><すいかの種飛ばして>は、子供から足ひとつ抜け出した思春期の頃。2番の<無表情のビルの数><変わりゆく街と/変わらない街>は、住む町が変わったことをイメージさせ、上京や一人暮らしを始めた頃と思わせる。感情を直接説明するのではなく、都市の表面温度によって心情を浮かび上がらせていく。“悲しい”“寂しい”と言い切らないことで、聴き手自身の記憶が入り込み、感情の輪郭が自然と立ち上がるのだ。“すいかの種”や“線香花火”も、ノスタルジーの演出としてではなく、現在と地続きの感覚として置かれている。とてもよくできた歌詞だと思う。
ボーカルも、この楽曲の空気感を決定づけている。言葉の母音を空気に溶かすニュアンスを多めに使いながらも、決して言葉に湿度を滲ませない。旋律を滑らかに運んでいく手法として、母音を溶かしているのがわかる。また子音のアタックは強くないのに、言葉がとても綺麗に聴こえてくる。これは、生来の抜けの良い声質によるところが大きいと思うが、言葉の最初の音の立ち上がりが早く、発音に一切濁りがないからだ。一音目から乱反射するような輝きを放つボーカリストである。語尾を強く押し切らず、少し余韻を残して手離すようなニュアンスも、この楽曲に漂う浮遊感のあるグルーヴとよく噛み合っている。
「風と黄昏」は“変わり続ける街の中で、それでも残ってしまう感覚”を音像にした楽曲である。エレクトロポップやラップトップミュージックという現在的なフォーマットを用いながら、生活の記憶や都市の風景を静かに編み直していく。この淡い手触りこそ、V;errorの大きな個性で、楽曲全体に、誰かの記憶の中を歩いているような質感が生まれている。
文・伊藤亜希
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