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元々ドラマーだった父の影響で、3歳の頃よりビートルズやディープパープル、J-Popなどの音楽に触れ、小学校4年生の時に親戚から借りて聴いたYMOのカセットテープとマイケルジャクソンのレコード盤がその後の人生を決定付ける事となる。
思春期に入ると和洋折衷で様々な音楽を聴く経験を重ね、中学校3年生の高校受験勉強がスタートするタイミングで、ミュージックステーションに出演した元祖ビジュアル系ハードロックバンド=X(後のX JAPAN)のYoshikiのパフォーマンスに衝撃を受け、
周りが勉学に勤しむ中で一人
ドラム(音楽)の道を歩む決心をする。
高校へ入り友人達と組んだバンドでのライブ活動を続ける傍ら、10代でXの曲をほとんど叩けるくらいになっていた腕が買われ、ハードロックやヘヴィメタルをメインに社会人のバンドのヘルプでもライブ活動を行うようになる。
その後、ロックを中心としたドラムスタイルに限界を感じ始めていた時期に、折しも90年代の日本へ本格的な上陸を果たしたヒップホップやR&B、レゲエなど、アメリカのストリートカルチャーに根差したクラブミュージックとの出会いを機に、それまでほぼロック一辺倒だった音楽との向き合い方やドラムのスタイルが一変し、DJプレイを中心としたクラブカルチャーにどっぷりと浸かり始める。
20代前半の時に見たPeter Ersine Trioのジャズライブで、繊細かつ大胆でエレガントなドラムプレイに衝撃を受け、その後の自身のドラムスタイルにおいて目指すべき
方向性が決定付けられる。
その後は独自の音楽研究の土台形成を目的に世界中の主要な各ジャンルの名曲を一通り吸収すべく、アナログ盤で音楽を聴く経験を重ね、自己の音楽的な引き出しをとにかく増やす事に集中。20代の10年間で約3500枚のレコードを収集しリスニング経験を積む。
30代に入り今度は当時のイギリスのムーブメントを発端としたクラブジャズカルチャーが世界中のアンダーグラウンドなシーンを席巻するようになり、ドラム/DJ両面で様々な
種類のジャズに触れる経験を通して、ブラックミュージックのより深く濃密な世界を貪欲に吸収する。結果、30代の終わりまでに通算で約4000枚のレコードリスニング経験を得た。
36歳の時に自身のドラマーとしての腕を試すため、都内の音