この歳になってもステージに上がることをやめられないのは、我が子ともいうべき自らの作品たちがライブ会場や電子媒体を通じて人々の視聴覚あるいは心に訴えかけ、また誰かの中で再生され続けてほしいという希望を抱きながら、その美しい邂逅を待ち望んでやまないからである。
それと同じように、この歳になってもまったく貯金ができないのは、生きる糧ともいうべきこの世のありとあらゆる美味しい酒やご飯が私の視聴覚あるいは生命力に訴えかけ、そういう珠玉の晩酌を財布の保つ限りできるだけ毎日嗜みたいという欲望を抱きながら、その美しい邂逅を待ち望んでやまないからである。
一日の役目を終えて終電に飛び乗り、光に群がる蛾のごとく赤提灯を求めてひとり夜の街を歩くのが私の日課である。くたくたになった身体にはキンキンに冷えたビール(ハイボールもよし)と美味いつまみ。これがもうたまらんのじゃ。
美味いつまみ、酒の肴として私が愛してやまないのは、大根がとろとろにしゅんだおでん、藁で燻したミディアムレアの鶏もも肉、塩昆布と焼きたての炒り卵を混ぜたあったかいポテトサラダ、ミソの詰まった頭付きボタンエビの刺身、はあ、おなかすいてきた、あと焼き魚の脂をほどよく吸った大根おろし。これに醤油をちょんと垂らしたのをチビチビいただく。挙げるともうキリがない。
10代の頃はそういうのを白飯と一緒にかきこんでいた。
酒の味を覚えてからは茶碗がジョッキやらおちょこに代わった。
両親が育んでくれた味覚は酒飲みのそれへと立派な変貌を遂げたのだ。
実家にいた頃、それはもう魚率の高い食卓だった。小学生の時には既に煮魚・焼き魚の身をほぐせばトムとジェリーとかに出てくる「魚の骨」ができあがるほど食べ親しんでいたし、当時友達は『りぼん』とか『ちゃお』とか読んでたけど私の愛読書は釣って食べられる魚図鑑だった。カジキの一本釣りを夢見る小学生だった。
地元広島から大阪に出てくると、海のものを口にする機会も自然と減っていた。身体が、本能が、海産物を欲していた。「魚・・・魚・・・」とうわ言のように繰り返しながら歩き慣れない大阪の街をさまよっていた時、今となっては行きつけだが、とある店でついに奇跡の邂逅を果たしたのである。
「カレイの味噌漬け焼き」
なにそれめっちゃおいしそう。
暖簾をくぐるやいなやそいつと生ビールを頼んで、厨房を凝視する。大将の手捌きが鮮やかすぎて一体カレイがどんな状態で味噌に漬かっていたのかは未だに見たことはないが、そんなことよりもグリルで焼いている時の濃厚な甘い香りといったら。やがてうっすら焦げ目がつく頃には手元のグラスが空になっていた。匂いだけで一杯いけるとはまさにこのことだった。
黄金に光り輝く切り身がこちらに運ばれ、不意に言葉がこぼれる。
「すみません、生おかわりで」
切り込みに沿って箸を入れるだけで伝わる身のやわらかさ。ほろりと身離れがよく、味噌や調味料がしっかりと浸透していて、ほのかに立ち上る湯気ですら愛おしい。それを口に放り込むと、白身魚特有の風味とこんがりと色づいた味噌の甘みが鼻腔に広がり、ジューシーな脂がそれらをまろやかに整える。脳内で中居くんがベルをチリンチリンと鳴らす。
「おーいし――――――!!!」
カレイも味噌もどちらも素材としては百点満点だが、その上どちらの長所も余すことなく生かす采配、焼き加減、大将のその素晴らしい仕事ぶりに思わずため息がもれる。
ミュージシャンもそうであらねばならない。個々のスキルや個性はもちろん大事だが、肝心なのは楽曲を通してリスナーに最も伝えるべきことは何なのか、である。個々のスキルや個性を前面に押し出すのもパフォーマンスとして重要であることは間違いない。しかし、ミュージシャン(特にバンドマン)自身が本当に注目させたいものは何だろうか?歌詞?メロディー?リフ?複数の楽器が生み出すハーモニー?それは各々の目指すものによって千差万別なので一概に断言する由もないが、要は「わしらはこれで勝負するんじゃい」という一本筋の通った志をもって日々の研鑽と見識を発揮してこそ、リスナーに対してのメッセージに説得力が宿るのだ。
大将はカレイと味噌の見事なアンサンブルを披露してくれた。味噌の香りは強烈に食欲をそそるが決してカレイの風味を損なうことなく、またカレイはその香りに腰掛けて程よい歯ざわりと白身の甘さについてを雄弁に物語る。
さながらジム・ホール&ロン・カーターの奥ゆかしくも力強いバラードのようである。
物憂げなイントロは観客を魅了し、やがて楽曲の背骨、演者の真意へと導く。その穏やかかつドラマティックなアプローチはまさに一流の仕事である。
その教訓をビールとともに嚥下しつつ、箸を進めていく。
脊髄骨から放射状に伸びる背柱が露になる。神がカレイに与えた美しい骨格だ。
この流麗な骨格を拝むためには身を丁寧にほぐしていかなくてはならない。偉大なる作品への敬意、愛情がその境地へ辿り着かせてくれる。「あなたの全てが私のものになるその時には」と、今はカレイに向けてそう歌うけれど、いつか誰かにそう言われる人間にもなりたいものですね。
お酒は二十歳になってから。
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